管総理の演説が心に響かない その理由


あのブッシュでさえ9.11以降は不死鳥の様に蘇り、支持率を90%に上げたというのに管総理は相変わらず冴えないどころか国民から不信感を増大させ続けている。大きな理由として演説の内容に不味さを今回は指摘したい。12日の演説はあまりにもお粗末だが、総理自身に事態の認識が甘かったと思うので今回はそれは問題にしない。3月12日の演説を参照すれば事態を過小評価していたことがはわかるはず。「まず、1人でも多くの皆さんの命を救う、このために全力を挙げて、特に今日、明日、明後日頑張り抜かなければならないと思っております。 」この発言から数日である程度終息するとでも思い込んでいたフシを感じるだろう。それは今回は触れないが明らかに事態が深刻になった後の平成23年3月18日(金)の菅総理からの国民の皆様へのメッセージをもう一度読み直して欲しい。

私も、この原子力事故に対して決死の覚悟で最大限の努力を尽くしております。必ずや国民の皆様とともに、そして現場を始め多くの関係者とともに、必ずやこの危機を乗り越えて、国民の皆さんに安心を取り戻したい。その決意を胸に秘めて、これからも更に努力をしてまいります。
「決死の覚悟で」という管総理は原発事故を最重要課題に取り組んでいるといいつつ東電に怒鳴り込んでいる。責任は東電、そして現在でも復旧に取り組んでいるのは東電であり、管は何を決死の覚悟でやったのか? そこまで言うならなぜ東電が白旗を揚げたあとに怒鳴り込んで行ったのだろうか。気が狂っているとしか思えない。「私は毎日、東電の関係者を毎日叱咤し続けている」これが管 直人の実態では無いか。

避難所で生活をされている皆さんは、寒い中、また食糧や水が不十分な中、またトイレの不便さの中、本当に御苦労をされていることと心からお見舞いを申し上げます。是非とも家族や地域や、あるいは見ず知らずの人であっても、避難所で行動をともにする皆さんとしっかりと助け合って、この苦しい中の避難生活を乗り越えていただきたいと思います。

ここに管直人のスタンスがはっきりと、垣間見える。「あなた達には日本という国家、そして素晴らしい日本人達が付いている」という主張は全く無い。勝手にそちらでどうぞやってくださいと言われた東北の被災者は気の毒だ。

どうか国民の皆様に一人ひとりがそういう思いで、家族や地域や職場の仲間や学校の仲間とともに、手と手を携え、自分たちがやれることは、自分たちができることは何なのか。そういう思いを共にして、日本の危機を乗り越え、再建に向かって歩み出していただきたいし、私もその一人として、全力を挙げていくことを改めて重ねて申し上げて、私からの震災発生1週間目における国民の皆様へのお訴えとさせていただきます。
「私もその一人として」にいたっては傍観者であるスタンスを隠そうともしない。こういうときに必要なのは「私はこうしたい。私はこれをお願いしたい。」という総理自身のリーダーシップでは無いのか? みんなで考えてそれぞれにやってくださいは確かに民主的だろうがそれで国難を乗り切れると思う国民はどれくらいいるだろうか。さらには閣外協力を惜しまない野党への感謝の言葉どころか内閣閣僚へのねぎらいの言葉さえ無い。このような人の気持ちを汲み取れない人物を総理にしてしまった日本人も気の毒だが大連立に関しても人間としての大切な部分が抜けている人物とでは決して良い結果は生まれない。

結局、いつになっても原発への対応、被災地への支援がギクシャクし続けているのはみんなで考えてそれぞれにどうぞといいつつ責任を取ろうとしない人々がうごめいているだけなのではないか。だいたいにおいて世界各国の支援についてもまとめてありがとうでは失礼すぎる。演説時間もあまりにも短い。詳細に述べるべき点を省略しすぎているのかイマイチ状況をわかって無いのか凡庸なスピーチライターしか官邸には居ないのか本人の作文なのか知らないが演説としてのレベルは惨憺たるものだ。あげくにやらせですと言わんばかりの記者とのやりとりで原稿を読んで質問に答えてるのをテレビで見て、私は「だめだこりゃ」とつぶやくしかなかった。